ゴルフ


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松山 英樹(まつやま ひでき、1992年2月25日 - )は、日本のプロゴルファー。レクサス(トヨタ自動車)所属。 日本人最年少マスターズ予選通過者(当時19歳)。アマチュア時代には、日本のアマチュアゴルファーとして初めてマスターズ・トーナメントの出場権を獲得し、2011年には同大会のロー・アマチ…
41キロバイト (3,796 語) - 2024年8月4日 (日) 15:56

(出典 the-ans.jp)
松山英樹が日本男子初の銅メダル獲得!絶対エースが歴史つくった
1 combatt ★ :2024/08/05(月) 00:43:39.15 ID:6FGhrNBL9
 最終ラウンドが行われ、首位と3打差の4位から出た21年マスターズ覇者の松山英樹(32=LEXUS)は6バーディー、ボギーなしの65で回り、通算17アンダーで日本男子初の銅メダルを獲得した。

 この日は1番パー発進のあと、2番で早くもバーディーを奪う上々の滑り出しを見せた松山。アイアンの切れが鋭く、4番から圧巻の3連続バーディーを奪い観客を沸かせるなど、4つ伸ばした。後半も2バーディーをマーク。ボギーなしの安定したゴルフで最後までメダル争いを演じた。

 前回21年東京五輪でメダルまであと一歩の4位だった松山は、第1ラウンドで8バーディー、ボギーなしの63をマークし、8アンダーで単独首位発進。

 第2ラウンドも7バーディー、2ボギー、1ダブルボギーの68で回り、通算11アンダーで首位を守った。

 前日の第3ラウンドでは、3バーディー、3ボギーの71で回り、通算11アンダーの4位に後退も「(金メダルの)チャンスがある位置で終えることができたので、最終日はいい一日にできるように頑張りたい。いいプレーをしたい」と語っていた。

 日本の絶対的エース。21年東京五輪ではプレーオフの末に4位だった。大会直前に新型コロナに感染した影響で万全な状態ではなかったが、最後までメダルを争う意地を見せた。2大会連続出場となるパリ五輪。しかし本心では、「若手が頑張ってランク50位以内に2人が入っていれば、別に僕は出ないでもいいかな」という思いがあった。代表決定時に日本勢で世界ランク50位以内は松山ただ1人。「そういう感じではなかったので出なきゃいけない」と出場を決めた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/45ca846fe42d7ea105da9a81b40e66f0f3904592

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(出典 s.eximg.jp)
笹生優花V 米メジャー2度目優勝 3打差5位から逆転
1 鉄チーズ烏 ★ :2024/06/03(月) 07:21:21.21 ID:xJtaIk5Z9
 笹生優花(22)が逆転優勝を果たし、21年以来3年ぶり2度目の頂点をつかんだ。3打差5位からスタートした最終日は5バーディ、1ボギー、1ダブルボギーの68で回り、通算4アンダーまで伸ばした。米ツアーは通算2勝目で、海外メジャーの複数回優勝は日本勢では初の快挙となった。

 3年前、米ツアー初優勝を飾った思い出の大会。08年の朴仁妃(韓国)と同じ、19歳11カ月17日の最年少優勝記録も樹立した。今年は日本勢21人が出場する中で初日に首位発進し、上位争いを続けて迎えた最終日だった。

 2番で幸先よくバーディーを先行させた。6番ではダブルボギーを喫したが、ここまでの3日間好調を維持してきたパットを支えに粘る。上位勢が軒並みスコアを落とす我慢大会の前半9ホールを終えると、12番のバーディーで首位で22年覇者のミンジ・リー(オーストラリア)に並ぶと、13番でも連続バーディーを奪って単独首位に。

 15番でもバーディーを重ねて独走態勢に入ると、ギャラリーを熱狂させたのは16番。357ヤードのパー3の第1打を強振しすると、ボールは見事にグリーンを捉える1オン。2パットでバーディーとして勝利を大きく引き寄せた。

 母フリッツィさんの母国フィリピンで生まれ、日本とフィリピンの2つの国籍を保持し、21年の優勝時はフィリピン国籍だった。同年8月の東京五輪にはフィリピン代表として出場。同年11月に日本国籍を選択した。当時は「いずれは日本国籍を選ぶんだろうなと思っていた。21歳になったら国籍を選ばないといけない日本のルールがある。国籍は日本だけのルールで、どっちを選ぼうと自分は日本人とフィリピン人」と話していた。

 ◆笹生優花(さそう・ゆうか)2001年(平13)6月20日、フィリピン生まれ。父の影響で8歳からゴルフを始める。幼少期からフィリピンや各国のジュニア大会で活躍。14歳でフィリピン女子ツアー優勝。15年にはサントリー・レディースで国内ツアー初出場。18年ジャカルタ・アジア大会で個人、団体ともに金メダル。19年オーガスタ女子アマで安田祐香とともに3位。同年11月のプロテストに合格。国内ツアーはルーキーだった20年に開幕戦で5位、2戦目となった8月のニトリレディスで初優勝。弟3人、妹1人がいる。166センチ。血液型B。

日刊スポーツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/7fbbad703556900c2ed6cf98da72a25a82c81ac2

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