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長渕剛「私に向けた刃ならいつでも立ち向かう」 自身に寄せられる声に決意
1 Ailuropoda melanoleuca ★ :2024/03/01(金) 16:20:12.62 ID:0keL3teL9
 歌手の長渕剛が1日、自身のインスタグラムを更新。自身に寄せられる声に対する思いをしたためた。

 長渕は、太陽と、どアップの手が映った写真を添えて「何も知らない人間が虚構を切り刻み、貼り付けそして汚い金になる。そんな社会が確かにある。私に向けた刃ならいつでも立ち向かう。なぜなら自尊があるからだ」と投稿。

 続けて「何かあるならば私の名前を叫んでこい。自分を見失わせる恐ろしい社会になったけれど、切り刻まれようとも私は立つ。今日私はここに立つ」と記していた。

https://www.oricon.co.jp/news/2316618/full/

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(出典 www.news-postseven.com)
ドリカム ファン激減のドン底告白、突然クビで帰国「アリーナガラ空き」中村正人明かす「当然でしょう」
1 muffin ★ :2024/02/19(月) 17:46:51.26 ID:ulI2DlUM9
DREAMS COME TRUE・中村正人が18日放送のTBS系「日曜日の初耳学」に出演。「インタビュアー林修」の企画に登場した。22歳だった吉田美和と出会ってからの35年を語った。

ミリオンを連発した一方で「最大の危機」だったとして、1997年に米国の大手レコード会社と契約、翌98年に世界デビューを果たしたが、2002年に突然「クビになったんですね、ある日突然。一遍終わりましたね。あまりにショックで」と振り返った。

 番組では、どん底で帰国したドリカムは「日本を捨てたアーティスト」のレッテルを貼られたと説明された。中村は「業界の掟、システムって大切。そのシステムにちょっと抗ったやり方」だったと振り返った。

当時を「アメリカでデビューしたかったわけじゃなくて、僕らは米国の民族音楽を聴いて音楽を始めてる、洋楽というのは。それをアメリカにお返ししたかった意思があった」と説明した。

しかし、マスコミやいろんなチームともぎくしゃくしたと振り返り「それでクビになって真っ白になりましたね」と語った。

帰国後を「ファンが激減しました。それまでは、ほとんどソールドアウト公演しかなかったんですけど、アリーナはガラ空きになりましたね」と明かしたが「日本で仕事させていただいて、ぽっとアメリカ行って、2年も3年も帰ってこなかったら、ファンの皆さんもそうなります。当然でしょう」と語った。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d5d839f7590b2e90063f3e332df3a37afdcac0ac

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(出典 contents.oricon.co.jp)
YOSHIKI側が1億1000万円を求める名誉毀損裁判が開始、被告の小学館側は全面的に争う姿勢「主張は追って」
1 阿弥陀ヶ峰 ★ :2024/02/19(月) 11:47:57.86 ID:9dVe14MA9
 X JAPANリーダー、YOSHIKIをマネジメントするジャパンミュージックエージェンシーが女性セブンなどに掲載された記事で名誉を毀損(きそん)されたとして、発行元の小学館に損害賠償1億1000万円や謝罪広告などを求めて提訴した民事裁判の第1回口頭弁論が、19日午前10時、東京地裁で開かれた。

 小学館側は答弁書を提出。「原告の請求はいずれも棄却する。訴訟費用は、原告の負担とするとの判決を求める」「請求の原因に対する認否は追って認否する」「被告の主張を追って主張する」と全面的に争う姿勢を示し、次回期日は4月12日午前10時に決まった。

 原告側であるジャパンミュージックエージェンシーの代理人は、代表弁護士の紀藤正樹氏ら4人が務めている。原告側が「名誉を毀損した」と訴える記事は、女性セブン2018年8月2日号「YOSHIKIが『Toshl排除!』“紅の絶縁”全真相」から昨年11月23日号の女性セブン「XJAPAN ベース・HEATH さんがん急死 YOSHIKIと Toshl慟哭の安置室でも 『睨み合い』」までの計7本としている。

 紀藤弁護士が所長を務めるリンク法律事務所の公式サイトによると、紀藤氏は1960年、山口・宇部市生まれ。大阪大法学部卒で大阪大大学院でも学んでいる。司法試験合格後は弁護士として活動。消費者問題から被害者を救済する活動に取り組み、多くの詐欺事件の被害対策弁護団を率いてきた。

 また、統一教会(世界平和統一家庭連合)が合同結婚式で注目を集めた1992年から、テレビ情報番組に出演。被害の実情を訴え、現在も全国霊感商法対策弁護士連絡会の一員として、同団体と闘っている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1315b8db47c8ca4707eedf8e4bd6638d57da05ab

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ミスチル、小室、ビーイング、SMAP覚醒から桑田vs長渕のケンカまで… Jポップは1994年に「絶頂」を極めた
1 冬月記者 ★ :2024/02/18(日) 00:21:06.22 ID:SbtMTQoT9
 今から30年前、1994年の日本レコード大賞は、Mr.Childrenの「innocent world」が受賞した。

 彼らが次作「Tomorrow never knows」のMV撮影のため授賞式を欠席したことで、レコ大にとっては黒歴史になってしまったが、評価としては至極真っ当だった。

 「innocent world」はオリコンシングルセールスランキングにおいて、この年度の1位作品であり、Jポップが絶頂を極めたこの年を象徴するものでもあったからだ。

 なぜ、この年、Jポップが絶頂を極めたといえるのか。それはこの記事が進むうちに、わかっていただけるだろう。

 ミスチルは前作「CROSS ROAD」でブレイク。桜井和寿がこれを書き上げたとき、「遂に100万枚セールスする曲が出来た!」と叫んだというエピソードもある作品だ。

 実際、この予言は的中。そこから96年の「花 -Mémento-Mori-」まで、ミスチルは8作連続でミリオンセラーのシングルを出し続けた。

 桜井が「100万枚」にこだわったのは、当時、大ヒットの基準がそれだったからでもある。

 バブル景気は90年に崩壊したとはいえ、すぐに打撃を受けたのは銀行や商社、ゼネコン、不動産の関係者。日本人の多くはまだまだ裕福で、気持ちも浮かれ気味だった。おかげで90年代の音楽シーンは、CDバブルとでもいうべき状況となったのだ。

 桜井のほかにも、この年、ミリオンセラーを初体験した大物がいる。小室哲哉だ。

 年間3位となった「恋しさと せつなさと 心強さと」(篠原涼子 with t.komuro)をはじめ、計3作のミリオンを達成(残り2作は、trf)。ここから小室ブームが始まり、翌年からは小室プロデュース作品がレコ大を4連覇することになる。

 なお、オリコンのデータでは、84年から89年まで、ミリオンセラーは途絶えていた。90年に久々の100万枚超えを果たしたのが「おどるポンポコリン」(B.B.クィーンズ)。いわゆるビーイング系のユニットだ。

 ビーイングはCDバブルの火付け役でもあり、翌年以降、B'zや大黒摩季、ZARD、WANDS、DEENなどでミリオンセラーを量産していく。94年もその勢いは健在で、4作で百万枚超えを達成。ミスチル、小室、ビーイングだけで9作のミリオンが生まれたこの年は、トータル18作というミリオンラッシュとなった。

 ちなみに、翌年と翌々年の作品数はこれをさらに上回るわけだが、筆者が94年こそJポップの絶頂期と見るのは、達成したアーティストの顔ぶれにバランスのよさを感じるからだ。

 広瀬香美や福山雅治といった当時の若手がいる一方で、中山美穂や藤井フミヤのような80年代アイドルも健闘している。また、藤谷美和子・大内義昭によるデュエットソング「愛が生まれた日」も100万枚超え。作詞は秋元康だ。

 さらに、松任谷由実、中島みゆき、CHAGE&ASKAといった70年代から活躍する人たちも健在ぶりを示した。これはJポップが誕生した経緯を考えても、なかなか興味深い。

 というのも、70年代にフォークやロック、ニューミュージック、シティポップなどと呼ばれていたものが「新時代の歌謡曲」としてひとまとめに進化(? )したのがJポップだとするなら、ユーミンやみゆき、チャゲアスはまさにその流れを象徴する人たちだからだ。

 この人たちは80年代、松田聖子や柏原芳恵、光GENJIといったアイドルへの作品提供でも結果を残した。いわば、アイドルという実験場において、歌謡曲的なヒット手法を学んだことが90年代でのさらなる成功につながるわけだ。

 また、このようなジャンルを超えた異種交配のようなコラボが繰り返されるうち、細かいジャンル分けは無意味化していった。その結果「Jポップ」という大ざっぱだが便利な呼び方が生まれ、定着していくのである。

続きはリンク先
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ab8a21cf257fbe6097140ec29a3c3206f674f05?page=1

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MISIA、能登半島地震の避難所で炊き出し支援、福井公演後に現地入り
1 少考さん ★ :2024/01/23(火) 07:23:42.34 ID:RE/IOBgT9
石川・珠洲市と能登町の避難所を訪れ、炊き出しを行ったMISIA

 歌手のMISIAが22日、能登半島地震の被害の大きかった石川・珠洲市と能登町の避難所を訪れ、炊き出しを行った。

 20、21日に全国ツアー福井公演を終え、この日被災地入り。炊き出しの実施に向けては、事前に地元の自治体や避難所と調整した。被災地での炊き出し支援実績のあるハンバーガーショップ「RUCCOS BURGER」、地元の一般社団法人「金沢レインボープライド」の協力を得て、避難所として利用されている学校2か所を訪問。昼食と夕食に、計500食分のカレーライスを提供した。

 MISIAにとって石川県は、2011年に津幡町で森の保全活動を通じて生物多様性の保全の重要性を訴えるプロジェクト「MISIAの森」を始動して以来、10年以上関わってきたゆかりの深い地域だった。「北陸で多くの人を勇気付けたい」と福井公演に臨んだが、「もっと被災者の力になりたい」と希望。現地の関係者に必要な支援を聞き取りし、許諾を得た上で被災地入りした。

 突然の来訪に、被災者らは驚いた様子だったが、MISIAはツアーグッズのタオルなどを手渡し。「体をお大事にしてください」「つらい中でも、希望を持つことを忘れないでね」などと、一人ひとりに丁寧に声をかけてまわった。

 写真のリクエストに応え、会話する中で「来てくれて本当にうれしい!」と返される場面も。これまでもチャリティー活動に精力的に取り組んできたMISIAは「被災地に何が必要なのかを学び、これからも携わっていきたい」と決意を新たにした。

スポーツ報知 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/63589b84ca6a96ea1383678a70ac53fb651cce82

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